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アゴなし大仏の話

鎌倉大仏

先日の事、昼過ぎに目を覚ましたものの、僕は暇をもて余してしまった。

貧乏暇無しとはよくいうけれども、自分の場合、貧乏暇ありでたまに蕎麦を食べに行く。

石川啄木が貧乏をしていた頃「働けど働けど我が暮らし楽にならざり。」と口走ったらしいけれども、自分の現状を言えば、働きたくても働きたくても仕事あれへんねん。

あっ。関西弁になってもた。

あっ。また語尾がもたってなってもた。

なんてってこんな事を続けていると永久に輪廻してしまうのでやめよう。

で、暇をもて余してしまった場合、イケてる男子であればイケてる女子を誘い、イケてるカッフェにでも出かけるのであろうが、私はイケてないので一人下北沢へ向かった。

何故に下北沢へ向かったかといえば、下北沢はイケてる街として有名で、イケてない僕だってたまにはイケてる感を出したい。と思ったのと、自転車ですぐに行けるから。

それで僕は甲州街道をチャリで疾走。
井の頭通りへ折れ、暇だったから全く急いでないんだけれども全力で二肢を回転させた。

更に鎌倉通りへ折れたところ、三間程向こうに突如不気味な物体が顕れた。

はて、あれは何であろうか。と、僕は自転車から降り、少し近付いてみて愕然とした。

その物体の正体は人間程の大きさの大仏であった。

僕はトボトボと鎌倉通りを歩く青銅製の大仏の姿に驚愕し、アゴが外れてしまった。

外れたアゴは足元に落下し、そのまま鎌倉通りを転がっていった。

「ああ!なんたる事だ。俺はこの先アゴ無しで生きるのか!」

と自分の未来を絶望し、人通りまばらな道端で僕は泣いた。

その時聞こえたアオッアオッというアシカのような鳴き声は、口から洩れた自分の嗚咽だった。

うふふ。アゴが無いとアシカみたいな声になるんだなあ。と妙に得心していると、背後から肩を叩かれ、振り返ると先程の大仏が右手に僕のアゴを持っていた。
左手にはエコバックを持っていた。

「落としたよ。」

と大仏は満面の笑みを浮かべ、大仏のくせに恵比寿顔だった。

その大仏の笑顔には不思議な魔力めいたものがあり、僕はその恵比寿顔から眼が離せなくなり、まるで魂が抜かれたように茫然と立ち尽くし、ヨダレが垂れてしまった。

アゴが無いからヨダレは喉元から直接地面に落ちて一面びちょびちょになった。

滝のようにヨダレを垂らしながら、しかしこの大仏可愛い笑顔だなあ。と思った刹那、大仏の右手がギュルンと回転し、絶望的なスピードで僕はアッパーカットをかまされた。
電光石火だった。

僕は後ろに仰け反りながら「なにすんじゃい!」と叫んだ。

あれれ、普通に声が出た。
ついさっきまでアシカみたいな声だったのに。

アゴに触れてみると僕のアゴは元どうりにくっついていた。

「良かったね。」

と言いながら大仏は右手をジャケットの袖口に擦り付けていた。
僕のヨダレで右手がびちょびちょになってしまっていたのだ。

「ごめんね。」
と僕は言ったのだけれども、さっきまで恵比寿顔だった大仏は今は愛想笑いで「だいじょぶ。」と言った。

ヨダレ付けちゃってごめんね。と思った。

「鎌倉から歩いて来たんですか?」

「いや、僕は豪徳寺から来たんだよ。鎌倉通りを歩いてるのはタマタマ。」

「あ、そうなんですか。豪徳寺って言えば招き猫で有名ですよね。最近五重の塔が出来たみたいですけど新築の五重の塔もイカすっていうか。あ。三重の塔だっけ?」

「あ。豪徳寺行ったことあるんだ。」

「うん。いいお寺だよね。」

「それは知らない。」